ボン・ボン・ショコラ 3
今回はキョコさんの視点から。
もうしばらく焦れったいかもしれません。
ボン・ボン・ショコラ3
「あ~、雨が降ってきた…」
こんな日は憂鬱だ。
客足がぱたりと途絶えるから。
カフェのお客さんもさっき店を後にした。誕生日ケーキの引き取り予約は午後6時。
しばらくは暇な時間が続きそうだ。
「よし、今日は新作作っちゃおう!」
しばらく前に敦賀さんが“苦いのが食べてみたい”と言った。
自分のショコラを楽しみにしてくださる一番のお客様だ。大切にしたい。
キョーコはビターチョコレートを取り出した。
チョコレートはデリケートで、テンパリングが難しい。
艶やかに仕上げるためには、温度管理を怠ってはいけないのだ。
「店長、新作作ってみたいんですけど、いいですか?」
「うん、いいよ。作ってみて。」
大理石の調理台の上に、温かいチョコレートを広げた。
敦賀さんは、どんなチョコレートがお好きなんだろう?
オランジェットはよく買ってくださるから、きっと好きなのよね。でも、あまり甘いのはお好きで無さそう。苦味がきちんとあって、洋酒の香る大人っぽいものがいいかも…。
チョコレートを混ぜながら、ブランデーを多めに加えてしまう。
たまに来る敦賀さんの好みは何かしらなんて考えながら、チョコレートを作ってしまう自分がなんだか恥ずかしくなった。
* * *
ある日、病院のベッドの上で目が覚めると、記憶が飛んでいると言われた。名前も出身地も言えるが、年齢にずれがあって、まるまる抜けているのは最近の4年分の記憶。とても大きな事故にあったらしく、あちこちに怪我をしていたが、頭の怪我が一番酷かったようだ。
戸惑い、混乱する私に、社長と呼ばれていた派手な老紳士が簡潔に説明してくれた。
私は女優だったと…。
そう説明されても、実感も何も湧かなかった。
女優であった事も、芸能界に籍をおいていたということもピンとこない。
だって、ショーちゃんがデビューした芸能界に自分もいたなんて信じられない。けれど、テレビの中のショーちゃんは、もう完全に手の届かない人になっていて、私はアパートをとっくの昔に引き払ってだるまやにいた。本当は別のところに住んでいたらしいけれど、それがどこかは知らない。
女将さんも大将も、ずっと住めばいいから。と言ってくれた。でも、だるまやのお客さんに何気なく言われた言葉が、胸につかえて店に出ることをやめた。
『恋人も、仕事も忘れっちまうってぇのは、一体何があったのかねえ~』
私に恋人がいたのか?
その問いには、誰も答えてくれなかった。
社長さんも、大将も、女将さんも…口を噤んだまま。それは即ち、私がショーちゃんに捨てられたっていうことを意味するのではないのか?
悶々と自問自答を繰り返しても、答えは見つからない。
ショーちゃんにも事故の連絡が入っているはずなのに、音沙汰無いのが結果として事実なのだろう。
けれど、不思議な事がある。ショーちゃん一筋の私だったはずなのに、ショーちゃんがいないことに、どうしてこうまであっさりと割り切れてしまっているのだろう?
はじめは自分の失ったすべてを思い出そうとした。もの凄く考えて、悩んで、それでも分からなくて、原因不明の頭痛までするようになっていた。けれど、そんなことをつらつらと考えても、非生産的なので途中でやめた。結局、ショーちゃんとは遅かれ早かれこうなる運命だったのだ。いくらお嫁さんを夢見ていても、ショーちゃんは私に振り向いてはくれない。
「ああ、もうやめ!やめ!くよくよしてもお腹は空く。働かざる者食うべからず!」
私は何かに縋るように働き口を探した。知らない間に高校も卒業していたから、就職口には困らなかったけれど、私は無性にチョコレートが作りたかった。何故だか分からないけれど、どうしても、絶対にチョコレートが作りたかった。
社長さんに頼んで、ご縁があってここに見習いとして勤めさせてもらっている。
小さなお店だが、とても気さくな店長さんでよかった。忙しすぎず、暇すぎず、自分のやりたい事を試させてもらって、出来上がった試作品のショコラまでショーケースに入れてもらうことができた。
そんな時に来店したあの人。
敦賀蓮さん。
有名な俳優さんなのに、全然えらぶってなくて、
忙しい俳優さんなのに、二週間と空けず来店してくれて、私に声をかけて下さるようになった。
にこやかに微笑んでくださる敦賀さんは、圧倒的に頭じゃなく顔が小さくて、勿論ひみつ君なんて必要ないとはっきり分かるほど背が高くて、足も異様なほど長い。絶対ノーメイクだと思うのに肌が綺麗で、指先も綺麗で、瞳も凄く綺麗な人だった。
何より、私のような店員にまで丁寧な言葉使いで、横柄なところなんか一つもなかった。それどころか、その滲み出すオーラをひた隠しにしようとしている、芸能人らしからぬその所作が見え隠れして、可愛いとさえ思えた。
私ったら、今までショーちゃんが嫌いな敦賀さんを視界にいれたこともなかったから、普通に良い人だなと思ってしまった。そして、敦賀さんはLMEの所属なんだから、もしかしたら私と面識があったのかもと思った。けれど、たとえ私が女優の端くれだったとしても、敦賀さんみたいな有名な俳優と、おいそれとは御一緒できないだろうと思っていた。
あの日までは…
インターネットで見つけた京子の画像には、敦賀さんと映りこむやたらと煌びやかな自分がいて、我が目を疑った。
これが自分?まさか、本当に本当で女優だったのか?
云々と唸ってみたけど、どう考えても合点も納得もいかなくて、結局それ以上調べるのはやめた。
今、私が見つめるべきなのは、自分の生活!自分の将来!過去は失ってしまったのだけど、せめて美味しくご飯が食べられるように前向きに生活しよう!そう思うと勇気と元気が沸いてきて、仕事に没頭できた。
美味しいショコラが作りたい!
美味しいって言ってもらいたい!
―――でも…誰に?
とりあえずは、それに蓋をする。
今はお客さん。
―――客って、誰?
えーっと、とりあえずは…敦賀さん?
だって、一番大事にしたいお客様だし、その…格好いいし?
わー、やだ!格好いいのは当たり前よね。俳優さんだし、芸能界で一番イイ男って言われてる人だもの。
ニマニマと百面相をしているうちに、ビタートリュフが出来上がり、店長に味見をしてもらった。
「キョーコちゃんの作るショコラは、凄く大人味なんだね。いつも。誰をイメージしてるの?」
―――いつも?誰を?
「分かりません。そんなに、大人味ですか?」
「うん、いつも大人味。ほろ苦くて、洋酒の香りがしてね。凄く濃厚で、蕩けるような口どけなのに、最後にカカオが後を引くんだ。だからお酒が欲しくなる。この前のオランジェットもそうだね。」
そうなんだ…意識はしてなかったけれど、大人味といわれて敦賀さんの顔が浮かんだ。
確かに、最近は敦賀さんに喜んで欲しくて作っているような気がする。でも、絶対に敦賀さんが選ぶのは一粒だけ。だからその一粒は、いつも特別な一粒。
「普通のオランジェットはオレンジピールが主役なのに、キョーコちゃんは中に練りこんだでしょ?だから凄いなと思ったんだよ。」
「そうですか?」
「うん、そう。きっとよほどチョコレートを食べて欲しいんだと思ったね。」
その時、突然涙が出そうになった。
“チョコレートを食べて欲しい”
自分はどうして、チョコレートに拘るのか?
誰に食べて欲しいのか?勿論ショーちゃんなんかじゃない、別の誰か。
もし、ショーちゃんのためのチョコレートなら、もっと甘い。もっと軽い感じにするはず。
慌てる店長に、ごめんなさいと一言告げると、キョーコはカウンターに戻った。
(4に続く)
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