夢現刻物語 10
「夢現刻物語」
(ゆめうつつのとき ものがたり)
第10話をお届けします。
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ぽてしゃんワールドと、かばぷーワールドの融合をどうぞお楽しみ下さい。
夢現刻物語 10 ~皇子のみたもの~
その夜の食事は、キョーコも久しぶりにテーブルについた。
そのことに皇后は大変喜び、皇子も美味しく食事を口にすることが出来た。
小さな頃は、皇后が一緒に食べる事を勧めてくれた。
だが、キョーコも10歳を過ぎ、分別がつくようになると自然と食事を辞退することが多くなった。だからだろうか、久しぶりの皇帝と皇后、皇子のいる場所の食事で、少し緊張していたのかもしれなくて、食事はあまり喉を通らなかった。
「して、クオン。オガタ領の灌漑施設、あれはどう思った?」
「確かにオガタ領は米、麦、とうもろこしなど穀物の生産が盛んですが、一昨年の雨不足の影響を見ても、天候に左右されてしまっています。きちんと整備された灌漑用水路によって潤うようになれば、米の生産量は飛躍的に多くなるでしょう。今はタカラダ領から多くを仕入れている菓子用の小麦も自領生産が可能となり、菓子作りにもよい影響があるのではないかと思いました。」
「なるほど…小麦と米と…オガタ候はどちらも考えているのだな。」
「そのようです。」
「それが実現すれば、タカラダ領の小麦を国内の領地のみならず、他国にまわすことも出来ような。」
「はい。実際にアカトキ国では小麦不足で窮していると聞きます。タカラダ領の小麦はかなり良質ですので、喜ばれるでしょう。」
「米はどうだ?」
「はい、父上が以前考えておられたように、マツシマ領でも開墾が進みましたので、自国内の米は十分備蓄があります。それに、オガタ領の米が加われば、輸出を視野に入れてもよいかと思います。」
「ふむ…他にはどうであった?その道中などについても聞こう。」
「はい。」
皇子がオガタ領の視察の結果について熱心に語るのと見ていると、まるで自分もそこに行っているかのような錯覚が思い浮かんで嬉しくなって、熱心に話を聞いた。
話は弾み、皇帝と皇后におやすみなさいと言い終えて、二人が食事会場を後にしたのは随分と遅い時間になってしまったらしかった。
キョーコと別れて自室に戻り、ふとテーブルの上の物が目に入って、皇子はしまったと思った。
キョーコへの土産にと思っていたオガタ領の焼き菓子があったのだ。
チーズやバターの生産も盛んに行っているオガタ領で、最近流行だという焼き菓子。
蒸篭で蒸した饅頭とは違った趣の小さなその菓子は、バターを練った中に砂糖と卵を入れ、小麦粉を入れて焼いたもので、マ・ドレヌと呼ぶらしい。
これをキョーコに食べさせたいと思って買ってきていたのだ。
(―――今から部屋に行ってもいいだろうか…?)
夕食会で渡すつもりだったけれど、渡せなかった焼き菓子。
そういえば、あまり食事が喉を通っていなかったように思えたから、もしかして、おなかがすいているかもしれないと思った。
どうせなら、キョーコが喜ぶ顔が見たい。
皇子は菓子の包みを懐に入れ、部屋を出た。
(キョーコはどんな反応を示すだろう?もっと早く渡せばよかった…)
キョーコはいつものように嬉しそうにもらってくれるだろうか?
それとも、新しい焼き菓子に興味津々で材料を聞いてくるだろうか?
少しだけうきうきとしながら宮殿から少し離れた女官たちが住む建物に向かった。
成人をしたとはいえ、まだ皇子は15歳だ。
多少の冒険は大目に見てもらえるし、何より小さな頃から一緒にいるキョーコのところに少し遅い時間に土産を持っていくくらい、咎めるものはいないことは分かっていた。
曲がり角を曲がろうとしたところで、キョーコの声が聞こえて足を止めた。
こんな時間に廊下で声が聞こえる事を不思議に思い、耳をそばだてた。
「…がとう……様」
「…………だね。」
来客だろうか。小さく男性の声が聞こえて、皇子は角から少しだけ顔を覗かせ、眼を見開いた。
そこには、いつも見慣れた姿があったのだ。
「もう、遅いからお休み?」
「はい、…様もおやすみなさい。」
「しーっ…誰が聴いているかわからないから、ね?」
「はい、ヤシロ様」
「ん、お休み。」
扉を半分開いた状態で対面しているという事は、先程まで部屋にいたのかもしれない。
ヤシロを見上げて微笑むキョーコが大事そうに持っているのは、馬車をかたどった銀細工。
ぽん、ぽんとヤシロがキョーコの頭を優しく撫でるその手つきに、皇子は無意識に胸元を掴んだ。
ヤシロを見送った扉が名残惜しそうな音を立てて閉まり、皇子はその場から逃げるように宮殿に駆け戻ると、焼き菓子も靴も放り出して、ベッドに潜り込んだ。
―――胸が、苦しい…。
ヤシロは皇子の秘書官だ。
当然キョーコと挨拶もするし、話もするだろう…
けれど…、だけれどあの銀細工は…
『殿下、それはキョーコ殿へのお土産ですか?』
『あ…うん。おいしそうな菓子だと思って。』
『左様でございますね、きっとお喜びになりますよ。』
熱心に菓子を選ぶ皇子に、そう微笑んで声をかけたヤシロ
市(いち)で焼き菓子を求めてヤシロのところに戻ると、彼の手には銀細工の馬車があった。
『ヤシロ…それ、買うの?』
『え?…ああ、こういう物が好きそうだなと思いまして。』
誰が…とは聞かなかった。
その銀細工を買うのを躊躇っているようにも見えたが、ヤシロの表情は明らかに大切な人間が喜ぶ顔を思い浮かべているように思えた。
―――あれを…ヤシロは買ったのだ。
皇子も一目見て心を奪われた、オガタ領の工芸品
タカラダ領で産出された小さな玉(ぎょく)を使った銀細工に、喜ぶキョーコの顔が皇子の脳裏に思い浮かんだのは事実だった。
一番目に付いたのは、薄桃色の玉が嵌ったペンダント。
だが、まだ11歳のキョーコには、早いだろうと…そう思っていたのに…
ヤシロは、キョーコに工芸品を買ったのだ。
自分の知らぬ間に、ヤシロがキョーコの部屋を訪れるほどに親しくなっているという事実にも…
ヤシロを見上げるキョーコの嬉しそうな眼差しにも…
悔しくて…
それが、その顔を見せたのが、自分以外にもいるのだということが悔しくて…
胸が焼け付くように息苦しい
皇子は誰にも見せることの出来ないその表情を、もう身に纏うことの出来ない仮面の代わりに寝具に埋めた。
(続く)